1/12(土) 小料理李白の新年会スペシャル ~吉田健一のお正月~

19:00~22:00 会費3000円(お料理と1ドリンク付き)

酒場の出張料理人、寺尾研さんでお馴染み「小料理李白」の新年会スペシャル版。Li-Po一の吉田健一研究家こと梶村陽一さん(元・麹町A/Z BOOKS & CAFE )が新たに主宰する「月酒李白を酌交わし 吉田健一を味読する会」と合流し、読み、飲み、食す会がスタート。お正月急遽の開催となった第1回のお題は「私の食物誌」(1975)から「東京のおせち」そして「江戸前の卵焼き」。まぁ、最終的には単なる飲み会になること必至ではありますが、酒飲みにはいろんな理由が必要ということで・・・。

ご興味ある方は、ぜひご一読ください。

吉田健一『私の食物誌』(中公文庫・1975年1月10日初版・1993年4月30日16版・初出1971年2月4日から「読売新聞」連載 12月26日完結・著者59歳)より
「東京のおせち」「江戸前の卵焼き」全文 

東京のおせち
雑煮の作り方にも色々あるのだから正月のおせちも場所によって何かと違うのだろうと思う。その中で東京のを挙げるのは、これも自分が馴れているからという理由がある他にこの場合はそれしか知らないのである。又それだけでもなくて東京の澄し汁で餅と菜っ葉だけの雑煮が餅の味を生かすのに最も適している感じがするならばそれと食べるおせちも芋と人参と牛蒡〔ごぼう〕と蒟蒻〔こんにやく〕と焼き豆腐しか入れない東京のが一番合っていると今でも思っている。そしてこの点も東京の雑煮と同じで凡てはその作り方一つに掛り、もし昆布出しを取った間違いがない出来のものならば大きな丼に盛ってあっても三ヶ日を過ぎてまだ残っているということは先ずない。
 どんなものでも煮込みというのは皆そういうものなのかも知れない。それに入れても入れなくても構わないものは凡て省き、その代りに入れたものの味はどれも生かすことを心掛けてその総和であるとともにそれだけに止らない何か一つのものを作り出すということで、その例に挙げられるのが東京風のおせちである。尤も味を生かすと言ってもこのおせちで牛蒡は殆ど味がしなくなっているが、これはおせち全体にその味が溶け込んでいるからで牛蒡が欠かせないのは昆布出しの昆布と同じであり、それで汁を吸いこむ量が一番多い芋と焼き豆腐がこのおせちでは先になくなる。併し蒟蒻も捨てたものではない。いつか大阪から送って貰った色が黒いのに近いのを使った所がこれがおせちの丼から消えるのが瞬く間のことだった。又人参は苦手であるが、これも全体の味にとってなくてはならないものなのだそうで例によってこうしてこのおせちが旨いことは知っていても詳しくどうやって作るのかは聞いたことがない。やはり食いしんぼうが仕合せに暮す為には誰かその家に料理が出来るものが一人いることが必要のようである。
 兎に角、正月に他のものよりも早く起きて既に出来上ったこのおせちを肴に同じく大晦日の晩から屠蘇酸の袋が浸してある酒を飲んでいる時の気分と言ったらない。それはほのぼのでも染みじみでもなくてただいいものなので、もし一年の計が元旦にあるならばこの気分で一年を通すことを願うのは人間である所以に適っている。その証拠にそうしているうちに又眠くなり、それで又寝るのもいい。

江戸前の卵焼き
江戸料理が今はなくなったから昔からなかったとまで言えるものではない。その江戸料理が盛んだった頃にあった料理屋が現に残っているのを探し出して行って見てもそこで出すのがどこの料理とも解らないものであることは事実である。併しこれが東京の普通の家での料理の仕方だった時代のことを思い出せば例えば確かに今はなくなった卵焼きがある。
 一体に関東の料理は関西のと比べて味が濃いことになっているが、その関東の江戸料理がもうなくて関西料理が全国に普及し、これも実際には正体が解らなくなっているのに味がそれに比べて濃いというのはただ濃いことだけが頭に残り、江戸前を受け継いで東京風に焼いた卵焼きは味が濃いというようなことを考えさせない旨いものだった。それが時々舌に戻ってくる気がする。これが如何に今は昔のものであるかということの証拠に今はそれを焼く道具さえもない。その焼き方を教わって自合でやって見た訳ではないが、この卵焼きは初めに薄く何枚も焼いたのを重ねて巻いたものでこれを作る為に銅板に枠を付けたようなものが備えてあるのが料理屋だけではなかった。それで横から見ると卵の黄色と焦げ目の茶色の非常に細かい縞が渦を巻いている具合になっていて、その縞でどんな味がするかが頭に浮び、それを大根降しで食べるのである。
 それが甘かったと言っても甘さには色々ある。恐らく砂糖でなくて味醂を相当に使って焼いたのであって菓子でなくて明かに料理であり、甘いようでいて苦くてそして卵の味がしてそれに醤油がよく合い、他にも本式に江戸前の料理というものを幾種類か食べたことがあるような気がするが、この卵焼きは家でも普通に作られたものだったのでまだ記憶に残っている。一口に言えば、江戸の料理の特徴というのは親切であることにあったのではないだろうか。それでしつこいということになることがあってもそういうのは江戸前の親切がまだ足りないものと考えることですむ。親切が洗練の域に達したのが江戸料理だったと言い直してもいい。いつか最後に赤鱏〔あかえい〕の煮物のようなものはその煮こごりの味がその中に温められていた。併し第一に赤鱏という魚がもう取れないのかも知れなくて、もし取れてもこれを料理するものがいそうにもない。それが卵焼きならばどうだろうか。

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